と云う事は、一目ですぐに知れたからである。
自分は先生を見ると同時に、先生と自分とを隔てていた七八年の歳月を、咄嗟《とっさ》に頭の中へ思い浮べた。チョイス・リイダアを習っていた中学の組長と、今ここで葉巻の煙を静に鼻から出している自分と――自分にとってその歳月は、決して短かかったとは思われない。が、すべてを押し流す「時」の流も、すでに時代を超越したこの毛利先生ばかりは、如何《いかん》ともする事が出来なかったからであろうか。現在この夜のカッフェで給仕と卓《テエブル》を分っている先生は、宛然《えんぜん》として昔、あの西日《にしび》もささない教室で読本を教えていた先生である。禿げ頭も変らない。紫の襟飾《ネクタイ》も同じであった。それからあの金切声《かなきりごえ》も――そういえば、先生は、今もあの金切声を張りあげて、忙《せわ》しそうに何か給仕たちへ、説明しているようではないか。自分は思わず微笑を浮べながら、いつかひき立たない気分も忘れて、じっと先生の声に耳を借した。
「そら、ここにある形容詞がこの名詞を支配する。ね、ナポレオンと云うのは人の名前だから、そこでこれを名詞と云う。よろしいかね。それ
前へ
次へ
全30ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング