ちょう》。」
「君一人で住んでいるの?」
「いいえ、お友だちと二人で借りているんです。」
 わたしはこんな話をしながら、静物《せいぶつ》を描《か》いた古カンヴァスの上へ徐《おもむ》ろに色を加えて行った。彼女は頸《くび》を傾けたまま、全然表情らしいものを示したことはなかった。のみならず彼女の言葉は勿論、彼女の声もまた一本調子だった。それはわたしには持って生まれた彼女の気質としか思われなかった。わたしはそこに気安さを感じ、時々彼女を時間外にもポオズをつづけて貰ったりした。けれども何かの拍子《ひょうし》には目さえ動かさない彼女の姿にある妙な圧迫を感じることもない訣《わけ》ではなかった。
 わたしの制作は捗《はか》どらなかった。わたしは一日の仕事を終ると、大抵《たいてい》は絨氈《じゅうたん》の上にころがり、頸すじや頭を揉《も》んで見たり、ぼんやり部屋の中を眺めたりしていた。わたしの部屋には画架のほかに籐椅子の一脚あるだけだった。籐椅子は空気の湿度《しつど》の加減か、時々誰も坐らないのに籐《とう》のきしむ[#「きしむ」に傍点]音をさせることもあった。わたしはこう云う時には無気味になり、早速どこか
前へ 次へ
全16ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング