僕等は両国橋《りやうごくばし》の袂《たもと》を左へ切れ、大川《おほかは》に沿つて歩いて行つた。「百本杭《ひやつぽんぐひ》」のないことは前にも書いた通りである。しかし「伊達様《だてさま》」は残つてゐるかも知れない。僕はまだ幼稚園時代からこの「伊達様」の中にある和霊《われい》神社のお神楽《かぐら》を見に行つたものである。なんでも母などの話によれば、女中の背中におぶさつたまま、熱心にお神楽をみてゐるうちに「うんこ」をしてしまつたこともあつたらしい。しかし何処《どこ》を眺めても、亜鉛葺《トタンぶ》きのバラツクの外《ほか》に「伊達様」らしい屋敷は見えなかつた。「伊達様」の庭には木犀《もくせい》が一本秋ごとに花を盛《も》つてゐたものである。僕はその薄甘《うすあま》い※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]ひを子供心にも愛してゐた。あの木犀も震災の時に勿論灰になつてしまつたことであらう。
 流転《るてん》の相の僕を脅《おびやか》すのは「伊達様《だてさま》」の見えなかつたことばかりではない。僕は確かこの近所にあつた「富士見《ふじみ》の渡《わた》し」を思ひ出した。が、渡し場らしい小屋は何処《ど
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