か両国劇場《りやうごくげきぢやう》といふ芝居小屋の出来る筈になつてゐた。現に僕は震災|前《ぜん》にも落成しない芝居小屋の煉瓦壁《れんぐわべい》を見たことを覚えてゐる。けれども今は薄汚《うすぎた》ない亜鉛葺《トタンぶ》きのバラツクの外《ほか》に何も芝居小屋らしいものは見えなかつた。もつとも僕は両国の鉄橋に愛惜《あいじやく》を持つてゐないやうにこの煉瓦建《れんぐわだて》の芝居小屋にも格別の愛惜を持つてゐない。両国橋の木造だつた頃には駒止《こまと》め橋《ばし》もこの辺に残つてゐた。のみならず井生村楼《ゐぶむらろう》や二州楼《にしうろう》といふ料理屋も両国橋の両側に並んでゐた。その外《ほか》に鮨屋《すしや》の与平《よへい》、鰻屋《うなぎや》の須崎屋《すさきや》、牛肉の外《ほか》にも冬になると猪《しし》や猿を食はせる豊田屋《とよだや》、それから回向院《ゑかうゐん》の表門に近い横町《よこちやう》にあつた「坊主《ぼうず》軍鶏《しやも》」――かう一々数へ立てて見ると、本所《ほんじよ》でも名高い食物屋《くひものや》は大抵《たいてい》この界隈《かいわい》に集つてゐたらしい。
「富士見の渡し」
前へ
次へ
全57ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング