かうゐん》の表門を出、これもバラツクになつた坊主《ばうず》軍鶏《しやも》を見ながら、一《ひと》つ目《め》の橋へ歩いて行つた。僕の記憶を信ずるとすれば、この一つ目の橋のあたりは大正時代にも幾分か広重《ひろしげ》らしい画趣を持つてゐたものである。しかしもう今日《こんにち》ではどこにもそんな景色は残つてゐない。僕等は無慙《むざん》にもひろげられた路《みち》を向う両国《りやうごく》へ引き返しながら、偶然「泰《たい》ちやん」の家《うち》の前を通りかかつた。「泰ちやん」は下駄屋《げたや》の息子《むすこ》である。僕は僕の小学時代にも作文は多少|上手《じやうず》だつた。が、僕の作文は、――と云ふよりも僕等の作文は、大抵《たいてい》は所謂《いはゆる》美文だつた。「富士の峯白くかりがね池の面《おもて》に下《くだ》り、空仰げば月|麗《うるは》しく、余が影法師黒し。」――これは僕の作文ではない。二三年|前《まへ》に故人になつた僕の小学時代の友だちの一人《ひとり》、――清水昌彦《しみづまさひこ》君の作文である。「泰ちやん」はかう云ふ作文の中にひとり教科書の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》
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