《らふそく》や教覚速善《けうかくそくぜん》居士《こじ》の額《がく》も大体昔の通りである。尤《もつと》も今は墓の石を欠かれない用心のしてあるばかりではない。墓の前の柱にちやんと「御用のおかたにはお守《まも》り石をさし上げます」と書いた、小さい紙札も貼《は》りつけてある。僕等はこの墓を後ろにし、今度は又墓地の奥に、――国技館の後ろにある京伝《きやうでん》の墓を尋ねて行つた。
 この墓地も僕にはなつかしかつた。僕は僕の友だちと一しよに度たびいたづらに石塔を倒し、寺男や坊さんに追ひかけられたものである。尤《もつと》も昔は樹木《じゆもく》も茂り、一口に墓地と云ふよりも卵塔場《らんたふば》と云ふ気のしたものだつた。が、今は墓石《ぼせき》は勿論《もちろん》、墓を繞《めぐ》つた鉄柵《てつさく》にも凄まじい火の痕《あと》は残つてゐる。僕は「水子塚《みづこづか》」の前を曲り、京伝《きやうでん》の墓の前へ辿《たど》り着いた。京伝の墓も京山《きやうざん》の墓と一しよにやはり昔に変つてゐない。唯それ等の墓の前に柿か何かの若木が一本、ひよろりと枝をのばしたまま、若葉を開いてゐるのは哀れだつた。
 僕等は回向院《ゑ
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