《きやうごく》子爵家(?)の溝《どぶ》の中に死んだことを知つたりした。この先生は着物は腐れ、体は骨になつてゐるものの、貯金帳だけはちやんと残つてゐた為にやつと誰だかわかつたさうである。T先生の話によれば、僕等を教へた先生たちは大抵《たいてい》は本所《ほんじよ》にゐないらしい。僕は比留間《ひるま》先生に張り倒されたことを覚えてゐる。それから宗《そう》先生に後頭部を突かれたことを覚えてゐる。それから葉若《はわか》先生に、――けれども僕の覚えてゐるのは体罰《たいばつ》を受けたことばかりではない。僕は又この小学校の中にいろいろの喜劇のあつたことも覚えてゐる。殊に大島《おほしま》と云ふ僕の親友のちやんと机に向つたまま、いつかうんこ[#「うんこ」に傍点]をしてゐたのは喜劇中の喜劇だつた。しかしこの大島|敏夫《としお》も――花や歌を愛してゐた江東小学校の秀才も二十《はたち》前後に故人になつてゐる。……
国技館の隣《とな》りに回向院《ゑかうゐん》のあることは大抵《たいてい》誰でも知つてゐるであらう。所謂《いはゆる》本場所の相撲《すまふ》も亦《また》国技館の出来ない前には回向院《ゑかうゐん》の境内《け
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