へ紙を輸出するのにもいろいろ計画を立ててゐるらしい。
「この辺もすつかり変つてゐますか?」
「昔からある店もありますけれども、……町全体の落ち着かなさ加減はね。」
 僕はその大紙屋《おほがみや》のあつた「馬車通り」(「馬車通り」と云ふのは四《よ》つ目《め》あたりへ通ふガタ馬車のあつた為である。)のぬかるみを思ひ出した。しかしまだ明治時代にはそこにも大紙屋のあつたやうに封建時代の影の落ちた何軒かの「しにせ」は残つてゐた。僕はこの馬車通りにあつた「魚善《うをぜん》」といふ肴屋《さかなや》を覚えてゐる。それから又|樋口《ひぐち》さんといふ門構への医者を覚えてゐる。最後にこの樋口さんの近所にピストル強盗|清水定吉《しみづさだきち》の住んでゐたことを覚えてゐる。明治時代もあらゆる時代のやうに何人かの犯罪的天才を造《つく》り出した。ピストル強盗も稲妻《いなづま》強盗や五寸|釘《くぎ》の虎吉《とらきち》と一しよにかう云ふ天才たちの一人《ひとり》だつたであらう。僕は彼の按摩《あんま》になつて警官の目をくらませてゐたり、彼の家の壁をがんどう返しにして出没を自在にしてゐたことにロマン趣味を感じずにはゐられ
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