は未《いま》だこの若侍を狐だつたと信じてゐる。)刀の光に恐れた為にやつと逃げ出したのだと云ふことである。実際狐の化けたかどうかは僕にはどちらでも差支《さしつか》へない。僕は唯父の口からかう云ふ話を聞かされる度にいつも昔の本所《ほんじよ》の如何《いか》に寂しかつたかを想像してゐた。
僕等は亀沢町《かめざはちやう》の角《かど》で円タクをおり、元町《もとまち》通りを両国へ歩いて行つた。菓子屋の寿徳庵《じゆとくあん》は昔のやうにやはり繁昌《はんじやう》してゐるらしい。しかしその向うの質屋《しちや》の店は安田《やすだ》銀行に変つてゐる。この質屋の「利《り》いちやん」も僕の小学時代の友だちだつた。僕はいつか遊び時間に僕等の家《うち》にあるものを自慢《じまん》し合つたことを覚えてゐる。僕の友だちは僕のやうに年とつた小役人《こやくにん》の息子《むすこ》ばかりではない。が、誰も「利《り》いちやん」の言葉には驚嘆せずにはゐられなかつた。
「僕の家《うち》の土蔵《どざう》の中には大砲《おほづつ》万右衛門《まんゑもん》の化粧廻《けしやうまは》しもある。」
大砲《おほづつ》は僕等の小学時代に、――常陸山《ひ
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