か明治四十三年にあつた大水《おほみづ》のことを思ひ出した。今日《こんにち》の本所《ほんじよ》は火事には会つても、洪水に会ふことはないであらう。が、その時の大水は僕の記憶に残つてゐるのでは一番|水嵩《みづかさ》の高いものだつた。江東橋《かうとうばし》界隈《かいわい》の人々の第三中学校へ避難したのもやはりこの大水のあつた時である。僕は江東橋を越えるのにも一面に漲《みなぎ》つた泥水の中を泳いで行《ゆ》かなければならなかつた。……
「実際その時は大変でしたよ。尤《もつと》も僕の家《うち》などは床《ゆか》の上へ水は来なかつたけれども。」
「では浅い所もあつたのですね?」
「緑町《みどりちやう》二丁目――かな。何《なん》でもあの辺は膝位《ひざくらゐ》まででしたがね。僕はSと云ふ友だちと一しよにその露地《ろぢ》の奥にゐるもう一人《ひとり》の友だちを見舞ひに行つたんです。するとSと云ふ友だちが溝《どぶ》の中へ落ちてしまつてね。……」
「ああ、水が出てゐたから、溝《どぶ》のあることがわからなかつたんですね。」
「ええ、――しかしSのやつは膝まで水の上に出てゐたんです。それがあつと言ふ拍子《ひやうし》に可
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