み干《ほ》してしまつた。それを知つた博物学の先生は驚いて医者を迎へにやつた。医者は勿論やつて来るが早いか、先生に吐剤《とざい》を飲ませようとした。けれども先生は吐剤と云ふことを知ると、自若《じじやく》としてかう云ふ返事をした。
「山田次郎吉《やまだじろきち》は六十を越しても、まだ人様《ひとさま》のゐられる前でへど[#「へど」に傍点]を吐くほど耄碌《まうろく》はしませぬ。どうか車を一台お呼び下さい。」
 先生は何《なん》とか云ふ法を行ひ、とうとう医者にもかからずにしまつた。僕はこの三四年の間《あひだ》は誰からも先生の噂を聞かない。あの面長《おもなが》の山田先生は或はもう列仙伝《れつせんでん》中の人々と一しよに遊んでゐるのであらう。しかし僕は不相変《あひかはらず》埃《ほこり》臭い空気の中に、――僕等をのせた円タクは僕のそんなことを考へてゐるうちに江東橋《かうとうばし》を渡つて走つて行つた。

     緑町、亀沢町

 江東橋《かうとうばし》を渡つた向うもやはりバラツクばかりである。僕は円タクの窓越しに赤錆《あかさび》をふいた亜鉛《トタン》屋根だのペンキ塗りの板目《はめ》だのを見ながら、確
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