ち並んだ無数のバラツクを眺めた時には実際烈しい流転《るてん》の相《さう》に驚かない訣《わけ》には行《ゆ》かなかつた。僕の「大溝」を思ひ出したり、その又「大溝」に釣をしてゐた叔父を思ひ出したりすることも必《かならず》しも偶然ではないのである。

     両国

 両国《りやうごく》の鉄橋は震災前《しんさいぜん》と変らないといつても差支《さしつか》へない。唯鉄の欄干《らんかん》の一部はみすぼらしい木造に変つてゐた。この鉄橋の出来たのはまだ僕の小学時代である。しかし櫛形《くしがた》の鉄橋には懐古の情も起つて来ない。僕は昔の両国橋に――狭い木造の両国橋にいまだに愛惜《あいじやく》を感じてゐる。それは僕の記憶によれば、今日《こんにち》よりも下流にかゝつてゐた。僕は時々この橋を渡り、浪《なみ》の荒い「百本杭《ひやつぽんぐひ》」や芦《あし》の茂つた中洲《なかず》を眺めたりした。中洲に茂つた芦は勿論、「百本杭」も今は残つてゐない。「百本杭」もその名の示す通り、河岸《かし》に近い水の中に何本も立つてゐた乱杭《らんぐひ》である。昔の芝居は殺《ころ》し場《ば》などに多田《ただ》の薬師《やくし》の石切場《い
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