だつた。しかも誰にも恐れられてゐた「新徴組《しんちようぐみ》」の一人《ひとり》に違ひなかつた。かれは叔父を尻目《しりめ》にかけながら、にやにや笑つて歩いてゐた。叔父は彼を一目みたぎり、二度と長い釣竿の先から目をあげずにゐたとかいふことである。
僕は小学時代にも「大溝《おほどぶ》」の側を通る度にこの叔父《をぢ》の話を思ひ出した。叔父は「御維新」以前には新刀無念流《しんたうむねんりう》の剣客《けんかく》だつた。(叔父が安房《あは》上総《かづさ》へ武者修行に出かけ、二刀流の剣客と仕合をした話も矢張《やは》り僕を喜ばせたものである。)それから「御維新」前後には彰義隊《しやうぎたい》に加はる志を持つてゐた。最後に僕の知つてゐる頃には年とつた猫背《ねこぜ》の測量技師だつた。「大溝《おほどぶ》」は今日《こんにち》の本所《ほんじよ》にはない。叔父も亦《また》大正の末年《ばつねん》[#「ばつねん」は正しいか?]に食道癌《しよくだうがん》を病んで死んでしまつた。本所の印象記の一節にかういふことを加へるのは或は私事に及び過ぎるであらう。しかし僕はO君と一しよに両国橋を渡りながら、大川《おほかは》の向うに立
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