う両国停車場や陸軍|被服廠《ひふくしやう》に変つてしまつた。しかし僕の小学時代にはまだ「大溝《おほどぶ》」に囲まれた、雑木林《ざふきばやし》や竹藪の多い封建時代の「お竹倉」だつた。「大溝」とはその名の示す通り、少くとも一間半あまりの溝《どぶ》のことである。この溝は僕の知つてゐる頃にはもう黒い泥水をどろりと淀《よど》ませてゐるばかりだつた。(僕はそこへ金魚にやる孑孑《ぼうふら》を掬《すく》ひに行つたことをきのふのやうに覚えてゐる。)しかし「御維新《ごゐしん》」以前には溝よりも堀に近かつたのであらう。僕の叔父《をぢ》は十何歳かの時に年にも似合はない大小を差し、この溝の前にしやがんだまま、長い釣竿《つりざを》をのばしてゐた。すると誰か叔父の刀にぴしりと鞘当《さやあ》てをしかけた者があつた。叔父は勿論むつとして肩越しに相手を振り返つてみた。僕の一家一族の内にもこの叔父程負けぬ気の強かつた者はない。かういふ叔父はこの時にも相手によつては売られた喧嘩を買ふ位の勇気は持つてゐたのであらう。が、相手は誰かと思ふと、朱鞘《しゆざや》の大小を閂差《くわんぬきざ》しに差した身の丈《たけ》抜群の侍《さむらひ》
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