ら二十歳頃までずつと本所《ほんじよ》に住んでゐた者である。明治二三十年代の本所は今日《こんにち》のやうな工業地ではない。江戸二百年の文明に疲れた生活上の落伍者《らくごしや》が比較的|大勢《おほぜい》住んでゐた町である。従つて何処《どこ》を歩いてみても、日本橋《にほんばし》や京橋《きやうばし》のやうに大商店の並んだ往来《わうらい》などはなかつた。若しその中に少しでも賑やかな通りを求めるとすれば、それは僅《わづか》に両国《りやうごく》から亀沢町《かめざわちやう》に至る元町《もとまち》通りか、或は二《に》の橋《はし》から亀沢町に至る二《ふた》つ目《め》通り位なものだつたであらう。勿論その外《ほか》に石原《いしはら》通りや法恩寺橋《ほふおんじばし》通りにも低い瓦屋根《かはらやね》の商店は軒《のき》を並べてゐたのに違ひない。しかし広い「お竹倉《たけぐら》」をはじめ、「伊達様《だてさま》」「津軽様《つがるさま》」などといふ大名屋敷はまだ確かに本所の上へ封建時代の影を投げかけてゐた。……
 殊に僕の住んでゐたのは「お竹倉《たけぐら》」に近い小泉町《こいづみちやう》である。「お竹倉」は僕の中学時代にも
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