なんぐわ》らしい趣《おもむき》を具へてゐた。が、今は船橋屋の前も広い新開の往来《わうらい》の向うに二階建の商店が何軒も軒を並べてゐる。……

     錦糸堀

 僕は天神橋《てんじんばし》の袂《たもと》から又円タクに乗ることにした。この界隈《かいわい》はどこを見ても、――僕はもう今昔《こんじやく》の変化を云々《うんぬん》するのにも退屈した。僕の目に触れるものは半《なか》ば出来上つた小公園である。或は亜鉛塀《トタンべい》を繞《めぐ》らした工場である。或は又見すぼらしいバラツクである。斎藤茂吉《さいとうもきち》氏は何かの機会に「ものの行《ゆ》きとどまらめやも」と歌ひ上げた。しかし今日《こんにち》の本所《ほんじよ》は「ものの行き」を現してゐない。そこにあるものは震災の為に生じた「ものの飛び[#「飛び」に傍点]」に近いものである。僕は昔この辺に糧秣廠《りやうまつしやう》のあつたことを思ひ出し、更にその糧秣廠に火事のあつたことを思ひ出し、如露亦如電《によろやくによでん》といふ言葉の必《かならず》しも誇張でないことを感じた。
 僕の通《かよ》つてゐた第三中学校も鉄筋コンクリイトに変つてゐる。僕は
前へ 次へ
全57ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング