殿の前へ立ち止まり、ちよつと帽をとつてお時宜《じぎ》をした。
「太鼓橋《たいこばし》も昔の通りですか?」
「ええ、――しかしこんなに小さかつたかな。」
「子供の時に大きいと思つたものは存外《ぞんぐわい》あとでは小さいものですね。」
「それは太鼓橋《たいこばし》ばかりぢやないかも知れない。」
 僕等は暖簾《のれん》をかけた掛け茶屋越しにどんより水光りのする池を見ながら、やつと短い花房を垂らした藤棚《ふぢだな》の下を歩いて行つた。この掛け茶屋や藤棚もやはり昔に変つてゐない。しかし木の下や池のほとりに古人の句碑の立つてゐるのは僕には何か時代錯誤を感じさせない訣《わけ》には行《ゆ》かなかつた。江戸時代に興つた「風流」は江戸時代と一しよに滅んでしまつた。唯僕等の明治時代はまだどこかに二百年間の「風流」の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》を残してゐた。けれども今は目《ま》のあたりに、――O君はにやにや笑ひながら、恐らくは君自身は無意識に僕にこの矛盾を指《さ》し示した。
「カルシウム煎餅《せんべい》も売つてゐますね。」
「ああ、あの大きい句碑の前にね。――それでもまだ張《は》り
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