すり》と云ふものを売りつけてゐた。この「天神様」の裏の広場も僕の小学時代にはなかつたものである。しかし広場の出来た後《のち》にもここにかかる世見物小屋《みせものごや》[#「見世物小屋」の誤り?]は活《い》き人形や「からくり」ばかりだつた。
「こつちは法律《はふりつ》、向うは化学――ですね。」
「亀井戸《かめゐど》も科学の世界になつたのでせう。」
僕等はこんなことを話し合ひながら、久しぶりに「天神様」へお詣りに行つた。「天神様」の拝殿は仕合せにも昔に変つてゐない。いや、昔に変つてゐないのは筆塚《ふでづか》や石の牛も同じことである。僕は僕の小学時代に古い筆を何本も筆塚へ納めたことを思ひ出した。(が、僕の字は何年たつても、一向《いつかう》上達する容子《ようす》はない。)それから又石の牛の額へ銭を投げてのせることに苦心したことも思ひ出した。かう云ふ時に投げる銭は今のやうに一銭銅貨ではない。大抵《たいてい》は五厘銭か寛永通宝《くわんえいつうはう》である。その又穴銭の中の文銭《ぶんせん》を集め、所謂《いはゆる》「文銭の指環《ゆびわ》」を拵《こしら》へたのも何年|前《まへ》の流行であらう。僕等は拝
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