》ろ禿《かむろ》だつた。)この寺は――慈眼寺《じげんじ》といふ日蓮《にちれん》宗の寺は震災よりも何年か前に染井《そめゐ》の墓地《ぼち》のあたりに移転してゐる。彼等の墓も寺と一しよに定めし同じ土地に移転してゐるであらう。が、あのじめ/\した猿江《さるえ》の墓地は未《いま》だに僕の記憶に残つてゐる。就中《なかんづく》薄い水苔《みづごけ》のついた小林平八郎の墓の前に曼珠沙華《まんじゆしやげ》の赤々と咲いてゐた景色は明治時代の本所《ほんじよ》以外に見ることの出来ないものだつたかも知れない。
萩寺《はぎでら》の先にある電柱(?)は「亀井戸《かめゐど》天神《てんじん》近道」といふペンキ塗りの道標《だうへう》を示してゐた。僕等はその横町《よこちやう》を曲《まが》り、待合《まちあひ》やカフエの軒を並べた、狭苦しい往来《わうらい》を歩いて行つた。が、肝腎《かんじん》の天神様へは容易《ようい》に出ることも出来なかつた。すると道ばたに女の子が一人《ひとり》メリンスの袂《たもと》を翻《ひるがへ》しながら、傍若無人《ばうじやくぶじん》にゴム毬《まり》をついてゐた。
「天神様へはどう行《ゆ》きますか?」
「あつ
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