。駒形《こまかた》は僕の小学時代には大抵《たいてい》「コマカタ」と呼んでゐたものである。が、それもとうの昔に「コマガタ」と発音するやうになつてしまつた。「君は今|駒形《こまかた》あたりほとゝぎす」を作つた遊女も或は「コマカタ」と澄んだ音を「ほとゝぎす」の声に響かせたかつたかも知れない。支那人は「文章は千古の事」と言つた。が、文章もおのづから※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]を失つてしまふことは大川の水に変らないのである。

     柳島

 僕等は川蒸汽を下りて吾妻橋《あづまばし》の袂《たもと》へ出、そこへ来合せた円タクに乗つて柳島《やなぎしま》へ向ふことにした。この吾妻橋から柳島へ至る電車道は前後に二三度しか通つた覚えはない。まして電車の通らない前には一度も通つたことはなかつたであらう。一度も?――若し一度でも通つたとすれば、それは僕の小学時代に業平橋《なりひらばし》かどこかにあつた或|可也《かなり》大きい寺へ葬式に行つた時だけである。僕はその葬式の帰りに確か父に「御維新《ごゐしん》」前《ぜん》の本所《ほんじよ》の話をして貰つた。父は往来《わうらい》の左右を見ながら、「
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