あん》や皮にあつた野趣《やしゆ》だけはいつか失はれてしまつた。……
川蒸汽は蔵前橋《くらまへばし》の下をくぐり、廐橋《うまやばし》へ真直《まつすぐ》に進んで行つた。そこへ向うから僕等の乗つたのとあまり変らない川蒸汽が一艘|矢張《やは》り浪《なみ》を蹴つて近づき出した。が、七八間隔ててすれ違つたのを見ると、この川蒸汽の後部には甲板《かんぱん》の上に天幕《テント》を張り、ちやんと大川《おほかは》の両岸の景色を見渡せる設備も整つてゐた。かういふ古風な川蒸汽も亦《また》目まぐるしい時代の影響を蒙《かうむ》らない訣《わけ》には行《ゆ》かないらしい。その後《あと》へ向うから走つて来たのはお客や芸者を乗せたモオタアボオトである。屋根船や船宿《ふなやど》を知つてゐる老人達は定めしこのモオタアボオトに苦々《にがにが》しい顔をすることであらう。僕は江戸趣味に随喜《ずゐき》する者ではない。従つて又モオタアボオトを無風流《ぶふうりう》と思ふ者ではない。しかし僕の小学時代に大川に浪を立てるものは「一銭蒸汽」のあるだけだつた。或はその外《ほか》に利根川《とねがは》通ひの外輪船《ぐわいりんせん》のあるだけだつた。
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