し少しでも変つてゐるとすれば、「何ごとも活動ばやりの世の中でございますから」などと云ふ言葉を挾《はさ》んでゐることであらう。僕はまだ小学時代からかう云ふ商人の売つてゐるものを一度も買つた覚えはない。が、天窓《てんまど》越しに彼の姿を見おろし、ふと僕の小学時代に伯母《をば》と一しよに川蒸汽へ乗つた時のことを思ひ出した。

     乗り継ぎ「一銭蒸汽」

 僕等はその時にどこへ行つたのか、兎《と》に角《かく》伯母《をば》だけは長命寺《ちやうめいじ》の桜餅を一籠《ひとかご》膝《ひざ》にしてゐた。すると男女の客が二人《ふたり》、僕等の顔を尻目《しりめ》にかけながら、「何か※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]ひますね」「うん、糞臭《くそくさ》いな」などと話しはじめた。長命寺の桜餅を糞臭いとは、――僕は未《いま》だに生意気《なまいき》にもこの二人を田舎者《ゐなかもの》めと軽蔑したことを覚えてゐる。長命寺にも震災以来一度も足を入れたことはない。それから長命寺の桜餅は、――勿論今でも昔のやうに評判の善《い》いことは確かである。しかし※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]《
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