僕等にも抒情詩《ぢよじやうし》めいた心もちを起させるものは少ないかも知れない。僕はこの五大力を見送りながら、――その又五大力の上にゐる四五歳の男の子を見送りながら、幾分か彼等の幸福を羨《うらや》みたい気さへ起してゐた。
 両国橋《りやうごくばし》をくぐつて来た川蒸汽はやつと浮き桟橋へ横着けになつた。「隅田丸《すみだまる》三十号」(?)――僕は或はこの小蒸汽に何度も前に乗つてゐるのであらう。兎《と》に角《かく》これも明治時代に変つてゐないことは確かである。川蒸汽の中は満員だつた上、立つてゐる客も少くない。僕等はやむを得ず舟《ふね》ばたに立ち、薄日《うすび》の光に照らされた両岸の景色を見て行くことにした。尤《もつと》も船《ふな》ばたに立つてゐたのは僕等二人に限つた訣《わけ》ではない。僕等の前には夏外套《なつぐわいたう》を着た、顋髯《あごひげ》の長い老人さへやはり船ばたに立つてゐたのである。
 川蒸汽は静かに動き出した。すると大勢《おほぜい》の客の中に忽ち「毎度御やかましうございますが」と甲高《かんだか》い声を出しはじめたのは絵葉書や雑誌を売る商人である。これも亦《また》昔に変つてゐない。若
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