本所《ほんじよ》会館は震災|前《ぜん》の安田家《やすだけ》の跡に建つたのであらう。安田家は確か花崗石《くわかうせき》を使つたルネサンス式の建築だつた。僕は椎《しひ》の木などの茂つた中にこの建築の立つてゐたのに明治時代そのものを感じてゐる。が、セセツシヨン式の本所会館は「牛乳デイ」とかいふものの為に植込みのある玄関の前に大きいポスタアを掲《かか》げたり、宣伝用の自動車を並べたりしてゐた。僕の水泳を習ひに行つた「日本游泳協会」は丁度《ちやうど》この河岸《かし》にあつたものである。僕はいつか何かの本に三代将軍|家光《いへみつ》は水泳を習ひに日本橋《にほんばし》へ出かけたと言ふことを発見し、滑稽に近い今昔《こんじやく》の感を催さない訣《わけ》には行《ゆ》かなかつた。しかし僕等の大川《おほかは》へ水泳を習ひに行つたと言ふことも後世《こうせい》には不可解に感じられるであらう。現に今でもO君などは「この川でも泳いだりしたものですかね」と少からず驚嘆してゐた。
 僕は又この河岸《かし》にも昔に変らないものを発見した。それは――生憎《あいにく》何《なん》の木かはちよつと僕には見当《けんたう》もつかない。
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