と言ふことですよ。」
「兎《と》に角《かく》東京中でも被服廠《ひふくしやう》程|大勢《おおぜい》焼け死んだところはなかつたのでせう。」
かういふ種々の悲劇のあつたのはいづれも昔の「お竹倉《たけぐら》」の跡である。僕の知つてゐた頃の「お竹倉」は大体「御維新《ごゐしん》」前《ぜん》と変らなかつたものの、もう総武《そうぶ》鉄道会社の敷地の中《うち》に加へられてゐた。僕はこの鉄道会社の社長の次男の友達だつたから、妄《みだ》りに人を入れなかつた「お竹倉」の中へも遊びに行つた。そこは前にも言つたやうに雑木林《ざふきばやし》や竹藪のある、町中《まちなか》には珍らしい野原だつた。のみならず古い橋のかかつた掘割りさへ大川《おほかは》に通じてゐた。僕は時々空気銃を肩にし、その竹藪や雑木林の中に半日を暮らしたものである。溝板《どぶいた》の上に育つた僕に自然の美しさを教へたものは何よりも先に「お竹倉」だつたであらう。僕は中学を卒業する前に英訳の「猟人日記《れふじんにつき》」を拾ひ読みにしながら、何度も「お竹倉」の中の景色を――「とりかぶと」の花の咲いた藪の陰《かげ》や大きい昼の月のかかつた雑木林の梢《こずゑ
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