の庵室《あんしつ》などでも、血だけらな[#「血だらけな」の誤り?]清玄の幽霊は大夫《たいふ》の見台《けんだい》が二つに割れると、その中から姿を現はしたものである。寄席《よせ》の広瀬も焼けてしまつたであらう。今村次郎氏も明治病院の裏手に――僕は正直に白状すれば、今村次郎氏の現存してゐるかどうかも知らないものの一人《ひとり》である。
 そのうちに僕は震災|前《ぜん》と――といふよりも寧《むし》ろ二十年|前《ぜん》と少しも変らないものを発見した。それは両国駅の引込み線を抑《おさ》へた、三尺に足りない草土手《くさどて》である。僕は実際この草土手に「国亡びて山河《さんか》在り」といふ詠嘆を感じずにはゐられなかつた。しかしこの小さい草土手にかういふ詠嘆を感じるのはそれ自身僕には情《なさけ》なかつた。

     「お竹倉」

 僕の知人は震災の為めに何人もこの界隈《かいわい》に斃《たふ》れてゐる。僕の妻の親戚などは男女九人の家族中、やつと命を全《まつた》うしたのは二十《はたち》前後の息子《むすこ》だけだつた。それも火の粉を防ぐ為めに戸板をかざして立つてゐたのを旋風の為めに捲《ま》き上げられ、安田家
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