邑井吉瓶《むらゐきつぺい》だけである。(もつとも典山《てんざん》とか伯山《はくざん》とか或は又|伯龍《はくりゆう》とかいふ新時代の芸術家を知らない訣《わけ》ではない。)従つて僕は講談を知る為めに大抵《たいてい》今村次郎《いまむらじらう》氏の速記本に依つた。しかし落語《らくご》は家族達と一しよに相生町《あひおひちやう》の広瀬《ひろせ》だの米沢町《よねざはちやう》(日本橋《にほんばし》区)の立花家《たちばなや》だのへ聞きに行つたものである。殊に度々《たびたび》行つたのは相生町の広瀬だつた。が、どういふ落語を聞いたかは生憎《あいにく》はつきりと覚えてゐない。唯|吉田国五郎《よしだくにごろう》の人形芝居を見たことだけは未《いま》だにありありと覚えてゐる。しかも僕の見た人形芝居は大抵《たいてい》小幡小平次《こばたこへいじ》とか累《かさね》とかいふ怪談物だつた。僕は近頃大阪へ行《ゆ》き、久振《ひさしぶ》りに文楽《ぶんらく》を見物した。けれども今日《こんにち》の文楽は僕の昔見た人形芝居よりも軽業《かるわざ》じみたけれん[#「けれん」に傍点]を使つてゐない。吉田国五郎の人形芝居は例へば清玄《せいげん》
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