子《こ》の亀の子は売つてゐる。」
 僕等は、「天神様」の外へ出た後、「船橋屋《ふなばしや》」の葛餅《くずもち》を食ふ相談をした。が、本所《ほんじよ》に疎遠《そゑん》になつた僕には「船橋屋」も容易に見つからなかつた。僕はやむを得ず荒物屋《あらものや》の前に水を撒《ま》いてゐたお上《かみ》さんに田舎《ゐなか》者らしい質問をした。それから花柳病《くわりうびやう》の医院の前をやつと又船橋屋へ辿《たど》り着いた。船橋屋も家は新《あら》たになつたものの、大体は昔に変つてゐない。僕等は縁台《えんだい》に腰をおろし、鴨居《かもゐ》の上にかけ並べた日本アルプスの写真を見ながら、葛餅を一盆《ひとぼん》づつ食ふことにした。
「安いものですね、十銭とは。」
 O君は大いに感心してゐた。しかし僕の中学時代には葛餅も一盆《ひとぼん》三銭だつた。僕は僕の友だちと一しよに江東梅園《かうとうばいゑん》などへ遠足に行つた帰りに度たびこの葛餅を食つたものである。江東梅園も臥龍梅《ぐわりゆうばい》と一しよに滅びてしまつてゐるであらう。水田《すゐでん》や榛《はん》の木のあつた亀井戸《かめゐど》はかう云ふ梅の名所だつた為に南画《なんぐわ》らしい趣《おもむき》を具へてゐた。が、今は船橋屋の前も広い新開の往来《わうらい》の向うに二階建の商店が何軒も軒を並べてゐる。……

     錦糸堀

 僕は天神橋《てんじんばし》の袂《たもと》から又円タクに乗ることにした。この界隈《かいわい》はどこを見ても、――僕はもう今昔《こんじやく》の変化を云々《うんぬん》するのにも退屈した。僕の目に触れるものは半《なか》ば出来上つた小公園である。或は亜鉛塀《トタンべい》を繞《めぐ》らした工場である。或は又見すぼらしいバラツクである。斎藤茂吉《さいとうもきち》氏は何かの機会に「ものの行《ゆ》きとどまらめやも」と歌ひ上げた。しかし今日《こんにち》の本所《ほんじよ》は「ものの行き」を現してゐない。そこにあるものは震災の為に生じた「ものの飛び[#「飛び」に傍点]」に近いものである。僕は昔この辺に糧秣廠《りやうまつしやう》のあつたことを思ひ出し、更にその糧秣廠に火事のあつたことを思ひ出し、如露亦如電《によろやくによでん》といふ言葉の必《かならず》しも誇張でないことを感じた。
 僕の通《かよ》つてゐた第三中学校も鉄筋コンクリイトに変つてゐる。僕は
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