すり》と云ふものを売りつけてゐた。この「天神様」の裏の広場も僕の小学時代にはなかつたものである。しかし広場の出来た後《のち》にもここにかかる世見物小屋《みせものごや》[#「見世物小屋」の誤り?]は活《い》き人形や「からくり」ばかりだつた。
「こつちは法律《はふりつ》、向うは化学――ですね。」
「亀井戸《かめゐど》も科学の世界になつたのでせう。」
僕等はこんなことを話し合ひながら、久しぶりに「天神様」へお詣りに行つた。「天神様」の拝殿は仕合せにも昔に変つてゐない。いや、昔に変つてゐないのは筆塚《ふでづか》や石の牛も同じことである。僕は僕の小学時代に古い筆を何本も筆塚へ納めたことを思ひ出した。(が、僕の字は何年たつても、一向《いつかう》上達する容子《ようす》はない。)それから又石の牛の額へ銭を投げてのせることに苦心したことも思ひ出した。かう云ふ時に投げる銭は今のやうに一銭銅貨ではない。大抵《たいてい》は五厘銭か寛永通宝《くわんえいつうはう》である。その又穴銭の中の文銭《ぶんせん》を集め、所謂《いはゆる》「文銭の指環《ゆびわ》」を拵《こしら》へたのも何年|前《まへ》の流行であらう。僕等は拝殿の前へ立ち止まり、ちよつと帽をとつてお時宜《じぎ》をした。
「太鼓橋《たいこばし》も昔の通りですか?」
「ええ、――しかしこんなに小さかつたかな。」
「子供の時に大きいと思つたものは存外《ぞんぐわい》あとでは小さいものですね。」
「それは太鼓橋《たいこばし》ばかりぢやないかも知れない。」
僕等は暖簾《のれん》をかけた掛け茶屋越しにどんより水光りのする池を見ながら、やつと短い花房を垂らした藤棚《ふぢだな》の下を歩いて行つた。この掛け茶屋や藤棚もやはり昔に変つてゐない。しかし木の下や池のほとりに古人の句碑の立つてゐるのは僕には何か時代錯誤を感じさせない訣《わけ》には行《ゆ》かなかつた。江戸時代に興つた「風流」は江戸時代と一しよに滅んでしまつた。唯僕等の明治時代はまだどこかに二百年間の「風流」の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》を残してゐた。けれども今は目《ま》のあたりに、――O君はにやにや笑ひながら、恐らくは君自身は無意識に僕にこの矛盾を指《さ》し示した。
「カルシウム煎餅《せんべい》も売つてゐますね。」
「ああ、あの大きい句碑の前にね。――それでもまだ張《は》り
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