本所両国
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)大溝《おほどぶ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)比較的|大勢《おほぜい》住んでゐた

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)薄甘《うすあま》い※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]ひを

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)じめ/\した
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     「大溝《おほどぶ》」

 僕は本所界隈《ほんじよかいわい》のことをスケツチしろといふ社命を受け、同じ社のO君と一しよに久振《ひさしぶ》りに本所へ出かけて行つた。今その印象記を書くのに当り、本所両国《ほんじよりやうごく》と題したのは或は意味を成してゐないかも知れない。しかしなぜか両国は本所区のうちにあるものの、本所以外の土地の空気も漂《ただよ》つてゐることは確かである。そこでO君とも相談の上、ちよつと電車の方向板《はうかうばん》じみた本所両国といふ題を用ひることにした。――
 僕は生れてから二十歳頃までずつと本所《ほんじよ》に住んでゐた者である。明治二三十年代の本所は今日《こんにち》のやうな工業地ではない。江戸二百年の文明に疲れた生活上の落伍者《らくごしや》が比較的|大勢《おほぜい》住んでゐた町である。従つて何処《どこ》を歩いてみても、日本橋《にほんばし》や京橋《きやうばし》のやうに大商店の並んだ往来《わうらい》などはなかつた。若しその中に少しでも賑やかな通りを求めるとすれば、それは僅《わづか》に両国《りやうごく》から亀沢町《かめざわちやう》に至る元町《もとまち》通りか、或は二《に》の橋《はし》から亀沢町に至る二《ふた》つ目《め》通り位なものだつたであらう。勿論その外《ほか》に石原《いしはら》通りや法恩寺橋《ほふおんじばし》通りにも低い瓦屋根《かはらやね》の商店は軒《のき》を並べてゐたのに違ひない。しかし広い「お竹倉《たけぐら》」をはじめ、「伊達様《だてさま》」「津軽様《つがるさま》」などといふ大名屋敷はまだ確かに本所の上へ封建時代の影を投げかけてゐた。……
 殊に僕の住んでゐたのは「お竹倉《たけぐら》」に近い小泉町《こいづみちやう》である。「お竹倉」は僕の中学時代にも
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