この中学校へ五年の間《あひだ》通《かよ》ひつづけた。当時の校舎も震災の為に灰になつてしまつたのであらう。が、僕の中学時代には鼠色のペンキを塗つた二階建の木造だつた。それから校舎のまはりにはポプラアが何本かそよいでゐた。(この界隈《かいわい》は土の痩《や》せてゐる為にポプラア以外の木は育ち悪《にく》かつたのである。)僕はそこへ通つてゐるうちに英語や数学を覚えた外《ほか》にも如何《いか》に僕等人間の情け無いものであるかを経験した。かう云ふのは僕の先生たちや友だちの悪口《わるぐち》を言つてゐるのではない。僕等人間と云ふうちには勿論僕のこともはひつてゐるのである。たとへば僕等は或友だちをいぢめ、彼を砂の中に生き埋めにした。僕等の彼をいぢめたのは格別理由のあつた訣《わけ》ではない。若し又理由らしいものを挙げるとすれば、唯彼の生意気《なまいき》だつた、――或は彼は彼自身を容易に曲《ま》げようとしなかつたからである。僕はもう五六年|前《ぜん》、久しぶりに彼とこの話をし、この小事件も彼の心に暗い影を落してゐるのを感じた。彼は今は揚子江《やうすこう》の岸に不相変《あひかはらず》孤独に暮らしてゐる。……
かう云ふ僕の友だちと一しよに僕の記憶に浮んで来るのは僕等を教へた先生たちである。僕はこの「繁昌記《はんじやうき》」の中に一々そんな記憶を加へるつもりはない。けれども唯|一人《ひとり》この機会にスケツチしておきたいのは山田《やまだ》先生である。山田先生は第三中学校の剣道部と云ふものの先生だつた。先生の剣道は封建《ほうけん》時代の剣客《けんかく》に勝《まさ》るとも劣らなかつたであらう。何《なん》でも先生に学んだ一人《ひとり》は武徳会の大会に出、相手の小手《こて》へ竹刀《しなひ》を入れると、余り気合ひの烈《はげ》しかつた為に相手の腕を一打ちに折つてしまつたとか云ふことだつた。が、僕の伝へたいのは先生の剣道のことばかりではない。先生は又食物を減じ、仙人《せんにん》に成る道も修行してゐた。のみならず明治時代にも不老不死の術に通じた、正真紛《しやうじんまぎ》れのない仙人の住んでゐることを確信してゐた。僕は不幸にも先生のやうに仙人に敬意を感じてゐない。しかし先生の鍛煉《たんれん》にはいつも敬意を感じてゐる。先生は或時博物学教室へ行《ゆ》き、そこにあつたコツプの昇汞水《しようこうすゐ》を水と思つて飲
前へ
次へ
全29ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング