メの名は全然不明である。この夏、北京《ペキン》の八大胡同《はちだいことう》へ行つた時、或|清吟小班《せいぎんせうはん》の妓の几《つくゑ》に、漢訳のバイブルがあるのを見た。天路歴程の読者の中にも、あんな麗人があつたかも知れない。
Byron の詩
僕は John Murray が出した、千八百二十一年版のバイロンの詩集を持つてゐる。内容は Sardanapalus, The Two Foscari, Cain の三種だけである。ケエンには千八百二十一年の序があるから、或は他の二つの悲劇と共に、この詩集がその初版かも知れない。これも検《しら》べて見ようと思ひながら、未《いまだ》にその儘|打遣《うつちや》つてある。バイロンはサアダナペエラスをゲエテに、ケエンをスコツトに献じてゐる。事によると彼等が読んだのも、僕の持つてゐる詩集のやうに、印刷の拙《つたな》い本だつたかも知れない。僕はそんな事を考へながら、時々唯気まぐれに、黄ばんだペエヂを繰つて見る事がある。僕にこの本を贈つたのは、海軍教授|豊島定《としまさだ》氏である。僕は海軍の学校にゐた時、難解の英文を教へて貰つたり、時には
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