は人の悪い笑い顔をしたまま、僕の手に古い望遠鏡を渡した。いつかどこかの博物館に並んでいたような望遠鏡である。
「オオ、サンクス。」
 僕は思わず英吉利《イギリス》語を使った。しかし老人は無頓着《むとんじゃく》に島の影を指さしながら、巧みに日本語をしゃべりつづけた。その指さした袖《そで》の先にも泡のようにレエスがはみ出している。
「あの島はサッサンラップと云うのですがね。綴りですか? 綴りはSUSSANRAPです。一見《いっけん》の価値のある島ですよ。この船も五六日は碇泊《ていはく》しますから、ぜひ見物にお出かけなさい。大学もあれば伽藍《がらん》もあります。殊に市《いち》の立つ日は壮観ですよ。何しろ近海の島々から無数の人々が集まりますからね。……」
 僕は老人のしゃべっている間《あいだ》に望遠鏡を覗いて見た。ちょうど鏡面《きょうめん》に映《うつ》っているのはこの島の海岸の市街《まち》であろう。小綺麗《こぎれい》な家々の並んだのが見える。並木の梢《こずえ》に風のあるのが見える。伽藍《がらん》の塔の聳えたのが見える。靄《もや》などは少しもかかっていない。何もかもことごとくはっきりと見える。僕
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