《フランス》の野菜、独逸《ドイツ》の野菜、伊太利《イタリイ》の野菜、露西亜《ロシア》の野菜、一番学生に人気《にんき》のあるのは露西亜の野菜学の講義だそうです。ぜひ一度大学を見にお出でなさい。わたしのこの前参観した時には鼻眼鏡をかけた教授が一人、瓶《びん》の中のアルコオルに漬《つ》けた露西亜の古胡瓜《ふるきゅうり》を見せながら、『サッサンラップ島の胡瓜を見給え。ことごとく青い色をしている。しかし偉大なる露西亜の胡瓜はそう云う浅薄な色ではない。この通り人生そのものに似た、捕捉《ほそく》すべからざる色をしている。ああ、偉大なる露西亜の胡瓜は……』と懸河《けんが》の弁《べん》を振《ふる》っていました。わたしは当時感動のあまり、二週間ばかり床《とこ》についたものです。」
僕「すると――するとですね、やはりあなたの云うように野菜の売れるか売れないかは神の意志に従うとでも考えるよりほかはないのですか?」
老人「まあ、そのほかはありますまい。また実際この島の住民はたいていバッブラッブベエダを信仰していますよ。」
僕「何です、そのバッブラッブ何とか云うのは?」
老人「バッブラッブベエダです。BABRABBADAと綴りますがね。まだあなたは見ないのですか? あの伽藍《がらん》の中にある……」
僕「ああ、あの豚の頭をした、大きい蜥蜴の偶像ですか?」
老人「あれは蜥蜴《とかげ》ではありません。天地を主宰《しゅさい》するカメレオンですよ。きょうもあの偶像の前に大勢《おおぜい》お時儀《じぎ》をしていたでしょう。ああ云う連中は野菜の売れる祈祷の言葉を唱《とな》えているのです。何しろ最近の新聞によると、紐育《ニュウヨオク》あたりのデパアトメント・ストアアはことごとくあのカメレオンの神託《しんたく》の下《くだ》るのを待った後《のち》、シイズンの支度《したく》にかかるそうですからね。もう世界の信仰はエホバでもなければ、アラアでもない。カメレオンに帰《き》したとも云われるくらいです。」
僕「あの伽藍《がらん》の祭壇の前にも野菜が沢山積んでありましたが、……」
老人「あれはみんな牲《にえ》ですよ。サッサンラップ島のカメレオンには去年売れた野菜を牲《にえ》にするのですよ。」
僕「しかしまだ日本には……」
老人「おや、誰か呼んでいますよ。」
僕は耳を澄まして見た。なるほど僕を呼んでいるら
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