口語を用ふるよりも数等|手数《てすう》のかからざるが為なり。こは恐らくは僕の受けたる旧式教育の祟《たた》りなるべし。僕は十年来口語文を作り、一日十枚を越えたることは(一枚二十行二十字詰め)僅かに二三度を数ふるのみ。然れども文語文を作らしめば、一日二十枚なるも難しとせず。「病中雑記」の文語文なるも僕にありてはやむを得ざるなり。
九 僕の体《からだ》は元来甚だ丈夫ならざれども、殊にこの三四年来は一層|脆弱《ぜいじやく》に傾けるが如し。その原因の一つは明らかに巻煙草を無暗《むやみ》に吸ふことなり。僕の自治寮《じちれう》にありし頃、同室の藤野滋《ふぢのしげる》君、屡《しばしば》僕を嘲《あざけ》つて曰《いはく》、「君は文科にゐる癖に巻煙草の味も知らないんですか?」と。僕は今や巻煙草の味を知り過ぎ、反《かへ》つて断煙を実行せんとす。当年の藤野君をして見せしめば、僕の進歩の長足《ちやうそく》なるに多少の敬意なき能《あた》はざるべし。因《ちなみ》に云ふ、藤野滋君はかの夭折《えうせつ》したる明治の俳人|藤野古白《ふぢのこはく》の弟なり。
十 第一の手紙に曰《いはく》、「社会主義を捨てん乎《か》、
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