の知る所なるべし。就中《なかんづく》「病牀六尺」中の小提灯《こぢやうちん》の小品の如きは何度読み返しても飽《あ》かざる心ちす。

 六 人としての子規《しき》を見るも、病苦に面して生悟《なまざと》りを衒《てら》はず、歎声を発したり、自殺したがつたりせるは当時の星菫《せいきん》詩人よりも数等近代人たるに近かるべし。その中江兆民《なかえてうみん》の「一年|有半《いうはん》」を評せる言の如き、今日《こんにち》これを見るも新たなるものあり。

 七 然れども子規《しき》の生活力の横溢《わういつ》せるには驚くべし。子規はその生涯の大半を病牀《びやうしやう》に暮らしたるにも関《かかは》らず、新俳句を作り、新短歌を詠じ、更に又写生文の一道をも拓《ひら》けり。しかもなほ力の窮《きわ》まるを知らず、女子教育の必要を論じ、日本服の美的価値を論じ、内務省の牛乳取締令を論ず。殆《ほとん》ど病人とは思はれざるの看《かん》あり。尤《もつと》も当時のカリエス患者は既に脳病にはあらざりしなるべし。(一月九日)

 八 何ゆゑに文語を用ふる乎《か》と皮肉にも僕に問ふ人あり。僕の文語を用ふるは何も気取らんが為にあらず。唯
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング