着物はその拍子《ひょうし》にすっかり泥になってしまった。それでも彼は飛び起きるが早いか、いきなり金三へむしゃぶりついた。金三も不意を食ったせいか、いつもは滅多《めった》に負けた事のないのが、この時はべたりと尻餅《しりもち》をついた。しかもその尻餅の跡は百合の芽の直《すぐ》に近所だった。
「喧嘩《けんか》ならこっちへ来い。百合の芽を傷《いた》めるからこっちへ来い。」
金三は顋《あご》をしゃくいながら、桑畑の畔《くろ》へ飛び出した。良平もべそをかいたなり、やむを得ずそこへ出て行った。二人はたちまち取組《とっく》み合いを始めた。顔を真赤にした金三は良平の胸ぐらを掴《つか》まえたまま、無茶苦茶に前後へこづき廻した。良平はふだんこうやられると、たいてい泣き出してしまうのだった。しかしその朝は泣き出さなかった。のみならず頭がふらついて来ても、剛情《ごうじょう》に相手へしがみついていた。
すると桑の間から、突然誰かが顔を出した。
「はえ、まあ、お前さんたちは喧嘩かよう。」
二人はやっと掴《つか》み合いをやめた。彼等の前には薄痘痕《うすいも》のある百姓の女房が立っていた。それはやはり惣吉《そうき
前へ
次へ
全12ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング