]。」
金三は狡《ず》るそうに母の方を見てから、そっと良平の裾《すそ》を引いた。二本芽の赤芽のちんぼ芽の百合を見る、――このくらい大きい誘惑はなかった。良平は返事もしない内に、母の藁草履《わらぞうり》へ足をかけた。藁草履はじっとり湿《しめ》った上、鼻緒《はなお》も好《い》い加減|緩《ゆる》んでいた。
「良平! これ! 御飯を食べかけて、――」
母は驚いた声を出した。が、もう良平はその時には、先に立って裏庭を駈《か》け抜けていた。裏庭の外《そと》には小路《こうじ》の向うに、木の芽の煙《けぶ》った雑木林《ぞうきばやし》があった。良平はそちらへ駈けて行こうとした。すると金三は「こっちだよう」と一生懸命に喚《わめ》きながら、畑のある右手へ走って行った。良平は一足《ひとあし》踏み出したなり、大仰《おおぎょう》にぐるりと頭を廻すと、前こごみにばたばた駈け戻って来た。なぜか彼にはそうしないと、勇ましい気もちがしないのだった。
「なあんだね、畑の土手《どて》にあるのかね?」
「ううん、畑の中にあるんだよ。この向うの麦畑の……」
金三はこう云いかけたなり、桑畑の畔《あぜ》へもぐりこんだ。桑畑の中生
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