茶室の外へ、大胆《だいたん》にも忍んで行ったのです。わたしは囲いの障子越しに、一切《いっさい》の話を立ち聞きました。
「お父さん。北条屋《ほうじょうや》を救った甚内《じんない》は、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚内の身に危急《ききゅう》があれば、たとえ命は抛《なげう》っても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘当を受けた浮浪人《ふろうにん》のわたしでなければ出来ますまい。わたしはこの二年間、そう云う機会を待っていました。そうして、――その機会が来たのです。どうか不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは極道《ごくどう》に生れましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」
 わたしは宅へ帰る途中も、同時に泣いたり笑ったりしながら、倅《せがれ》のけなげさを褒《ほ》めてやりました。あなたは御存知になりますまいが、倅の弥三郎《やさぶろう》もわたしと同様、御宗門《ごしゅうもん》に帰依《きえ》して居りましたから、もとは「ぽうろ」と云う名前さえも、頂いて居ったものでございます。しかし、――しかし倅も不運なやつでございました。いや、倅ばかりではございません。わたし
前へ 次へ
全38ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング