もあの阿媽港甚内《あまかわじんない》に一家の没落さえ救われなければ、こんな嘆きは致しますまいに。いくら未練《みれん》だと思いましても、こればかりは切《せつ》のうございます。分散せずにいた方が好《よ》いか、倅を殺さずに置いた方が好いか、――(突然苦しそうに)どうかわたしを御救い下さい。わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚内を憎むようになるかも知れません。………(永い間《あいだ》の歔欷《すすりなき》)

     「ぽうろ」弥三郎の話

 ああ、おん母「まりや」様! わたしは夜《よ》が明け次第、首を打たれる事になっています。わたしの首は地に落ちても、わたしの魂《たましい》は小鳥のように、あなたの御側へ飛んで行くでしょう。いや、悪事ばかり働いたわたしは、「はらいそ」(天国)の荘厳《しょうごん》を拝する代りに、恐しい「いんへるの」(地獄)の猛火の底へ、逆落《さかおと》しになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十年来、このくらい嬉しい心もちは、宿った事がないのです。
 わたしは北条屋弥三郎《ほうじょうややさぶろう》です。が、わたしの曝《さら》し首《くび》は、阿媽港甚内《
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