ばかりか一家のものも、路頭《ろとう》に迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめては御憐憫《ごれんびん》を御加え下さい。わたしはいつか甚内の前に、恭《うやうや》しく両手をついたまま、何も申さずに泣いて居りました。……
 その後《のち》わたしは二年の間《あいだ》、甚内の噂《うわさ》を聞かずに居りました。が、とうとう分散もせずに恙《つつが》ないその日を送られるのは、皆甚内の御蔭でございますから、いつでもあの男の仕合せのために、人知れずおん母「まりや」様へも、祈願《きがん》をこめていたのでございます。ところがどうでございましょう、この頃|往来《おうらい》の話を聞けば、阿媽港甚内《あまかわじんない》は御召捕《おめしと》りの上、戻《もど》り橋《ばし》に首を曝《さら》していると、こう申すではございませんか? わたくしは驚きも致しました。人知れず涙も落しました。しかし積悪の報《むくい》と思えば、これも致し方はございますまい。いや、むしろこの永年、天罰も受けずに居りましたのは、不思議だったくらいでございます。が、せめてもの恩返しに、陰《かげ》ながら回向《えこう》をしてやりたい。――こう思ったものでご
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