でございましょう。が、突き放された相手の一人は、格別跡を追おうともせず、体の雪を払いながら、静かにわたしの前へ歩み寄りました。
「わたしです。阿媽港甚内《あまかわじんない》ですよ。」
 わたしは呆気《あっけ》にとられたまま、甚内の姿を見守りました。甚内は今夜も南蛮頭巾《なんばんずきん》に、袈裟法衣《けさころも》を着ているのでございます。
「いや、とんだ騒《さわ》ぎをしました。誰もあの組打ちの音に、眼を覚さねば仕合せですが。」
 甚内は囲《かこ》いへはいると同時に、ちらりと苦笑《くしょう》を洩《も》らしました。
「何、わたしが忍《しの》んで来ると、ちょうど誰かこの床《ゆか》の下へ、這《は》いこもうとするものがあるのです。そこで一つ手捕《てど》りにした上、顔を見てやろうと思ったのですが、とうとう逃げられてしまいました。」
 わたしはまださっきの通り、捕り手の心配がございましたから、役人ではないかと尋《たず》ねて見ました。が、甚内は役人どころか、盗人だと申すのでございます。盗人が盗人を捉《とら》えようとした、――このくらい珍しい事はございますまい。今度は甚内よりもわたしの顔に、自然と苦笑が浮
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