らぬと申し上げました。が、店のものにも暇《ひま》を出さず、成行きに任《まか》せていた所を見ると、それでも幾分か心待ちには、待っていたのでございましょう。また実際三日目の夜《よ》には、囲いの行燈《あんどん》に向っていても、雪折れの音のする度毎に、聞き耳ばかり立てて居りました。
 所が三更《さんこう》も過ぎた時分、突然茶室の外《そと》の庭に、何か人の組み合うらしい物音が聞えるではございませんか? わたしの心に閃《ひらめ》いたのは、勿論《もちろん》甚内の身の上でございます。もしや捕《と》り手《て》でもかかったのではないか?――わたしは咄嗟《とっさ》にこう思いましたから、庭に向いた障子《しょうじ》を明けるが早いか、行燈《あんどん》の火を掲《かか》げて見ました。雪の深い茶室の前には、大明竹《だいみんちく》の垂れ伏したあたりに、誰か二人|掴《つか》み合っている――と思うとその一人は、飛びかかる相手を突き放したなり、庭木の陰《かげ》をくぐるように、たちまち塀の方へ逃げ出しました。雪のはだれる音、塀に攀《よ》じ登る音、――それぎりひっそりしてしまったのは、もうどこか塀《へい》の外へ、無事に落ち延びたの
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