《あみばり》を休めたまま、子供のように微笑した。
「時にね、お清さん。」
「何でございます? 真面目《まじめ》そうに。」
 女中も出窓の日の光に、前掛《まえかけ》だけくっきり照らさせながら、浅黒い眼もとに微笑を見せた。
「御隣の野村《のむら》さん、――野村さんでしょう、あの奥さんは?」
「ええ、野村敏子さん。」
「敏子さん? じゃ私《わたし》と同じ名だわね。あの方はもう御立ちになったの?」
「いいえ、まだ五六日は御滞在《ごたいざい》でございましょう。それから何でも蕪湖《ウウフウ》とかへ、――」
「だってさっき前を通ったら、御隣にはどなたもいらっしゃらなかったわよ。」「ええ、昨晩《さくばん》急にまた、三階へ御部屋が変りましたから、――」
「そう。」
 女は何か考えるように、丸々《まるまる》した顔を傾けて見せた。
「あの方でしょう? ここへ御出でになると、その日に御子さんをなくなしたのは?」
「ええ。御気の毒でございますわね。すぐに病院へも御入れになったんですけれど。」
「じゃ病院で御なくなりなすったの? 道理で何にも知らなかった。」
 女は前髪《まえがみ》を割った額《ひたい》に、かすかな
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