》ぎながら、この平和な二人の上へ、日の光と影とをふり撒いている。文鳥《ぶんちょう》はほとんど囀《さえず》らない。何か唸《うな》る虫が一匹、男の肩へ舞い下りたが、直《すぐ》にそれも飛び去ってしまった。………
 こう云うしばらくの沈黙の後《のち》、敏子は伏せた眼も挙げずに、突然かすかな叫び声を出した。
「あら、お隣の赤さんも死んだんですって。」
「お隣?」
 男はちょいと聞き耳を立てた。
「お隣とはどこだい?」
「お隣よ。ほら、あの上海《シャンハイ》の××館の、――」
「ああ、あの子供か? そりゃ気の毒だな。」
「あんなに丈夫そうな赤さんがねえ。……」
「何だい、病気は?」
「やっぱり風邪《かぜ》ですって。始めは寝冷えぐらいの事と思い居り候ところ、――ですって。」
 敏子はやや興奮したように、口早に手紙を読み続けた。
「病院に入れ候時には、もはや手遅れと相成り、――ね、よく似ているでしょう? 注射を致すやら、酸素吸入《さんそきゅうにゅう》を致すやら、いろいろ手を尽し候えども、――それから何と読むのかしら? 泣き声だわ。泣き声も次第に細るばかり、その夜の十一時五分ほど前には、ついに息を引き取
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