た。赤児を、――美しいメリンスの着物の中に、しかめた顔ばかり出した赤児を、――敏子が内心見まいとしていた、丈夫そうに頤《あご》の括《くく》れた赤児を!
「私が窓を拭《ふ》きに参りますとね、すぐにもう眼を御覚ましなすって。」
「どうも憚《はばか》り様。」
女はまだ慣《な》れなそうに、そっと赤児を胸に取った。
「まあ、御可愛い。」
敏子は顔を寄せながら、鋭い乳の臭いを感じた。
「おお、おお、よく肥《ふと》っていらっしゃる。」
やや上気《じょうき》した女の顔には、絶え間ない微笑が満ち渡った。女は敏子の心もちに、同情が出来ない訳ではない。しかし、――しかしその乳房《ちぶさ》の下から、――張り切った母の乳房の下から、汪然《おうぜん》と湧いて来る得意の情は、どうする事も出来なかったのである。
三
雍家花園《ようかかえん》の槐《えんじゅ》や柳は、午《ひる》過ぎの微風に戦《そよ》ぎながら、庭や草や土の上へ、日の光と影とをふり撒《ま》いている。いや、草や土ばかりではない。その槐《えんじゅ》に張り渡した、この庭には似合《にあ》わない、水色のハムモックにもふり撒《ま》いている。ハ
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