ウえぶりも負けずに退屈を極めていた。彼は無風帯を横ぎる帆船《はんせん》のように、動詞のテンスを見落したり関係代名詞を間違えたり、行き悩《なや》み行き悩み進んで行った。
 そのうちにふと気がついて見ると、彼の下検《したしら》べをして来たところはもうたった四五行《しごぎょう》しかなかった。そこを一つ通り越せば、海上用語の暗礁《あんしょう》に満ちた、油断のならない荒海《あらうみ》だった。彼は横目《よこめ》で時計を見た。時間は休みの喇叭《らっぱ》までにたっぷり二十分は残っていた。彼は出来るだけ叮嚀《ていねい》に、下検べの出来ている四五行を訳した。が、訳してしまって見ると、時計の針はその間《あいだ》にまだ三分しか動いていなかった。
 保吉は絶体絶命《ぜったいぜつめい》になった。この場合|唯一《ゆいいつ》の血路《けつろ》になるものは生徒の質問に応ずることだった。それでもまだ時間が余れば、早じまいを宣《せん》してしまうことだった。彼は教科書を置きながら、「質問は――」と口を切ろうとした。と、突然まっ赤になった。なぜそんなにまっ赤になったか?――それは彼自身にも説明出来ない。とにかく生徒を護摩《ごま》
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