かかつた事はないが夢に見ましたと云ふのがある。御兄様《おにいさま》と呼ぶ事を御許し下さいませと云ふのがある。写真を呉れと云ふのがある。何か肌《はだ》に着けた物を呉れと云ふのがある。使ひ古した手巾《ハンケチ》を呉れれば処女として最も清く尊きものを差上げますと云ふのもあつた。何《なん》たる清き交際であらう。……」
 これは水上滝太郎《みなかみたきたらう》君の「友はえらぶべし」の中の一節である。僕はこの一節を読んだ時に少しも掛値《かけね》なしに瞠目《だうもく》した。水上君の小説は必ずしも天下の女性の読者を随喜《ずゐき》せしめるのに足るものではない。しかも猶《なほ》彼等の或ものは水上君を御兄様を称し、又彼等の或ものは水上君の写真など(!)を筐底《きやうてい》に秘めたがつてゐるのである。翻《ひるがへ》つて僕自身のことを考へると、――尤《もつと》も僕の小説は水上君の小説よりも下手《へた》かも知れない。が、少くとも女性の読者に多少の魅力《みりよく》のあることは決して「勤人《つとめにん》」や「海上日記」や「葡萄酒《ぶだうしゆ》」の後《あと》には落ちない筈である。しかし行年《ぎやうねん》二十五にして才人
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