の名を博してよりこのかた、僕のことを御兄様と呼んだり、僕の写真を欲しがつたりする美人の手紙などの来たことはない。況《いはん》や僕の手巾《ハンケチ》を貰へば、「処女として最も清く尊きものを差上げます。」と言ふ春風万里《しゆんぷうばんり》の手紙をやである。僕の思はず瞠目《だうもく》したのも偶然ではないと言はなければならぬ。
 けれども偶《たまたま》かう言つたにしろ、直ちに僕を軽蔑するならば、それは勿論《もちろん》大早計である。僕にも亦《また》時に好意を表する女性の読者のない訣《わけ》ではない。彼等の一人《ひとり》は去年の夏、のべつに僕に手紙をよこした。しかもそれ等は内容証明でなければ必ず配達証明だつた。僕は万事を抛擲《はうてき》して何度もそれ等を熟読《じゆくどく》した。実際又僕には熟読する必要もあつたのに違ひない。それ等はいづれも百円の金を至急返せと言ふ手紙だつた。のみならずそれ等を書いたのは名前も聞いたことのない女性だつた。それから又彼等の或ものは僕の「春服《しゆんぷく》」を上梓《じやうし》した頃、絶えず僕に「アララギ」調の写生の歌を送つて来た。歌はうまいのかまづいのか、散文的な僕にはわからなかつた。いや、必ずしも一首残らずわからなかつた次第ではない。「日の下《した》の入江《いりえ》音なし息づくと見れど音こそなかりけるかも」などは確かに僕にもうまいらしかつた。けれどもこの歌はとうの昔にもう斎藤茂吉《さいとうもきち》君の歌集に出てゐるのに違ひなかつた。それから又彼等の或ものは僕の支那へ出かけた留守《るす》に僕に会ひに上京した。僕は勿論不幸にも彼女に会ふことは出来なかつた。が、彼女は半月ほどした後《のち》、はるばる僕に一すぢの葡萄色《ぶだういろ》のネク・タイを送つて来た。何《なん》でも彼女の手紙によれば、それは明治天皇の愛用し給うたネク・タイであり、彼女のそれを送つて来たのは何年か前に墓になつた母の幽霊の命令に従つたものだとか言ふことだつた。それから又彼等の或ものは、……
 兎《と》に角《かく》僕にも手紙を寄せた女性の読者のゐることは疑ふべからざる事実である。が、彼等は僕に対するや、水上《みなかみ》君に対するやうに纏綿《てんめん》たる情緒《じやうしよ》を示したことはない。これは抑《そもそ》も何《なん》の為であらうか? 僕は僕に手紙を寄せた何人かの天涯《てんがい》の美人を考
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