へ、つまり僕の女性の読者は水上君の女性の読者よりもはるかに彼等の社交的趣味の進歩してゐる為と断定した。成程《なるほど》彼等の或ものは彼女自身の歌の代りに斎藤君の歌を送つて来た。しかしそれは僕のことを夢に見ると言ふ代りに、彼女も僕の先輩たる斎藤君の歌集などを読んでゐることを伝へたのであらう。又彼等の或ものはお兄様《にいさま》と僕を呼びたかつたかも知れない。が、彼女の遠慮深さは百円の金を返せと言ふ内容証明の手紙を書かせたのである。又彼等の或ものは明治天皇の愛用し給うた――これだけは正直に白状《はくじよう》すれば、確かに僕にも難解である。けれども彼女の淑《つつま》しさの余り、僕の手巾《ハンケチ》を呉れと言ふ代りに、歴史的意義あるネク・タイを送つて来たのではないであらうか? 僕の女性の読者なるものはいづれも上《かみ》に示したやうに繊細《せんさい》な神経を具《そな》へてゐる。して見れば水上君に手紙を寄せた無数の女性の読者よりも数等|優《すぐ》れてゐると言はなければならぬ。よし又僕の断定に多少の誤りはあるにもしろ、――たとへば彼等の或ものは不幸なる狂人だつたにもしろ、少くとも唐突《たうとつ》として水上君に手巾《ハンケチ》を呉れと言つた読者よりも気違ひじみてゐないことは確かである。僕はかう考へた時に私《ひそ》かに僕自身の幸運を讃美《さんび》しない訣《わけ》には行《ゆ》かなかつた。日本の文壇広しと雖《いへど》も、僕ほど艶福《えんぷく》に富んだ作家は或は一人《ひとり》もゐないかも知れない。
[#地から1字上げ](大正十四年八月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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